吐瀉物は生きているから

 

なんだかダメな日は必ず自己嫌悪で締めになる。

 

それを記しておくことが精神衛生上良いか悪いかはわからないけれどなんとなく文字に起こしたくなった。

 

 

 

トラブルは私に投げておけばなんとかなるという慢心で満ちている職場に不満を撒き散らし(スタッフのグループLINE宛にうだうだと長文を送り付けた)SNSのTLを卑屈な呟きで埋めつくし家族に見られないように隠れて泣き煙草を吸い布団に入り今に至る。睡魔はまだ襲ってこない。

低気圧の影響か頭重感が拭えない。それにともない気持ちもどんよりする。

 

 

不安も不満も不快感も全部他に対してぶつけたくなる。でも必ず後悔する。

自己感情だけで調和を乱すことをよしとしてないのだろう。でもそれは単に臆病者なだけだ。

 

 

主張を飲み込む癖は昔から治らない。その場を汚さずに済むから。けど飲み込みすぎるとそのうち必ず吐き気を催す、そしてキャパオーバーになって、吐いてしまう。

 

見えないところで吐くなら吐きたい、でも気持ち悪くてえづいている惨めな私にも気づいて欲しい。そんな哀れな承認欲求をセーブしきれるほどまだ大人になれていない。

 

 

でもずっと綺麗なんてそんなのどうせ疲れちゃうから。

 

どうやったらうまく咀嚼して消化できるのか。はたまたそんなことは出来ないのか。

 

 

分からないけど、分からないから生き続けてみるしかないよなあこれがきっと22歳の私だから。生き方だから。

 

 

 

よくわかんない文章でごめんに。

 

8月の匂い

 

世間は盆。

 

 

 

と言えど、

 

田舎に帰省するわけでもなく、

墓参りに向かうでもなく、

クーラーの効いた畳の部屋に転がって、液晶画面を眺めながら私は放心している。

 

 

 

 

子どもの頃は、お盆は特別な日だった。

 

親戚一同が我が家に集い、霊園まで足を運び、照りつける日差しと伝う汗に文句を垂れつつ墓石を磨き、蝋燭の火へと変化した 祖父母の魂と共に帰路につく。

 

家には家紋入りの提灯を置き、神棚にはたくさんの馳走を供え、手を合わせ、亡き祖父母へ「おかえりなさい」と心の中で呟く。

 

一連の儀式的な営みが終わると、そこから先は宴会である。大人たちはビールや焼酎を片手に談笑し、子どもたちはお団子を取り合いながらはしゃぐ。

 

子どもながら、亡き人を肴に酒を飲むのはいかがなものかと思ったことがあったが、お盆はそうやって過ごすのが1番の供養になると聞いた。人見知りな私は、年に数回会うか会わないかの親戚達と話をするのは得意ではなかった。けれど大好きだった祖母(祖父は私が産まれる前に他界している)にまつわる話題には、花を咲かせることが出来た。血の繋がった一族が、祖父母を忘れずに生きていること、おかげでこうして交流できること。それは尊いことだなと感じていた。

 

 

 

しかし、

 

カネ、

 

訴訟、

 

誓約書、

 

裏切り、

 

精神疾患

 

搾取、

 

 

 

ここ数年で、そんな言葉ばかりが飛び交う

地獄のような一族になってしまった

 

 

 

 

しかもそれは皮肉なことに、祖父母の終の棲家、

もとい私が住んでいた思い出の家が全ての火種となっていた。

 

 

内情が縺れて以来、毎年集まっていた私の家は消えた。親戚が揃うことも全く無くなった。

 

祖父母のお墓参りも行けていない。

ジリジリと迫るあの暑さが懐かしく恋しい。

 

 

今年の夏、眠る祖父母を誰か迎えに行っているのだろうか。3日間彼らをもてなしているのだろうか。

私は何もわからない。切ない。

 

 

 

無力な私は心の中で今年も迎え火を灯している。

「おかえりなさい」

紫陽花

 

お久しぶりです

 

気がついたら6月ですね

雨音をBGMに文字を叩き落としています

 

 

以前までのブログを読み返して、当時より明らかに今年度の生活へのモチベーションが下がってしまってることへの焦りを感じました。とりあえず勉強と仕事をしっかりしようと心に決めていたのですが、人員不足による労働時間の増加から以前にも増してストレスが溜まり、仕事は生き生きとはこなし難く国家試験が迫ってるとは思えないほど勉強は手につかず、現実逃避にアルコールにばかり手を伸ばしてしまっている今日この頃です。酒は百薬の長、されど万病の元とは理解しつつも、私にとって唯一の娯楽であり鬱憤の捌け口となっていて、何か他に発散しようがあれば良いのになあと思いつつも断絶し難く悩ましい毎日を送っています。

 

四月病を終え五月病は回避したと安心していたらこのザマです、六月病と名付けましょうかね。

 

 

六月は嫌いです。

けどもうすぐ私の中の人気月ランキング上位である七月が来ます。夏が始まる感じがわくわくして、好きなんですよね。

 

平成最後の夏、爽やかな気持ちで迎えられるように梅雨が明けるまでにやる気やポジティブな思考を取り戻したいところです。

 

 

特別まとまりもくそもないですが、とりあえずまた一旦深呼吸して頑張れるといいなあ。

 

 

駄文でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

パンを齧った美少女

 

お久しぶりです。キラキラした周りの新社会人を見て絶賛四月病でしたがすぐに治りました、私は元気です。

 

(私が使う四月病は俗にいう躁状態のやつではなく、新年度のキラキラ感に気圧されて具合が悪くなるような陰鬱な感じのニュアンスです) 

 

四月病の原因って要は自己肯定感がはちゃめちゃに下がることなんですよね。周りが希望に満ちて輝いていて、その光が強いから、自分の影がグッと浮かび上がるような感じがして。

でも私は私の環境で頑張ってるし私は私の良いところがあるしって、ちゃんと思えてるから良しです( ˘ω˘ )前も書いたけど卑屈になってる時間なんてないですし🍣圧倒的でいたいですし🍣

 

 

 

 

 うん

 

そんなことを考えていたら、ふとこの曲が聴きたくなって、仕事帰りに聴いていました。

 

 

 

小南泰葉の歌、とても好きです。

 

 

是非聴いてみてね

 

 

f:id:rerere_no_reenu:20180408020713p:image

 

 f:id:rerere_no_reenu:20180408020724p:image

 

 https://youtu.be/qY8j-l_E7ws

 

 

 

 

 

 

わたくしごと

 

2年間休学を続けていた大学生活に、中途退学という形で終止符を打つこととなった。

 

大学から離れた2年間は、私の中で社会的な意識が成長した部分がとてもあったように自負しているが、同時に、変に背伸びをして達観したように格好付けて、無理に型に嵌めて大人になろうとしていた節も多いように思う。色々とエピソードはあるが、面倒なので割愛する。

 

 

同級生が大学を卒業し新生活に向けせかせかと動く今日この頃、なんとも言い表しがたい焦燥感や不安が自分自身の中にあり、ひとことで言えばとても落ち着かない。このもやもやとした感情をうまく昇華したいと思い、こうして文字に起こしている次第だ。

 

 

話を戻すが、私は休学していた期間、社畜生活に只管励んでいた。学校に通いながら働いていた頃とは一変し生活の基盤が仕事となり、続けていくにつれて自律心が育ったように思う。恐縮ながら店を1軒任せて貰ったり、取引のある方々に上司の右腕として紹介して貰ったり、キャリアを積んで着実に自信を付けることが出来た。私がそうやって働いている一方で大学生活を送っていた皆は、勉強と並行してアルバイトをし、サークル活動や趣味の時間を上手く作り、充実した毎日を過ごしていたと思う。これにどちらが良いだとかは勿論ないが、少しだけ皆を羨ましく妬むような気持ちも心の隅にはあったように感じる。自分の器の小ささ、他人と比較しがちなネガティブな面である。思い返すと情けないなと額を押さえてしまう。

 

 

時の流れは早いもので、新年度が始まれば皆も私も社会人だ。私は就職活動もしておらず、今も昔も変わらぬ環境に身を置いているので、内定を勝ち取りこれまでと一変した場所で人生に挑む全ての友人に敬意の念を抱いている。

 

 

 

なんだか着地点が分からなくなってきた、とりあえず続ける。

 

 

周囲がどんどん変わっていくことを実感するごとに、新しい春を迎えても特別な変化のない自分を顧みて心がざわついてしまう。きっとしょうもない劣等感なんだということは分かっているが、プライドの高い私はどうしても悔しくなってしまう。

 

 

 

だが正直、もういちいち卑屈になっている余裕なんてないのだ。

 

私にとって今一番必要なのは、意識の変化とそれに伴った行動を起こす力である。

 

次の誕生日で、私は23歳だ。

 

それまでに何か、22歳の爪痕を残したい。

 

 

 

気取った言葉を連ねてきたが、結局のところ言いたいのは、

 

 

皆頑張ってたし頑張ってる

だから私ももっと頑張る、頑張ろうね  

 

ということだ。多分。(なんだか偉そうな物言いに聞こえるが、純粋にそう思っていることは伝わって欲しい。)

 

とてつもない乱文になってしまったが、書いているうちに少しだけ散らかっていた気持ちが纏まって、これからのモチベーションが上がってきた気がする。

 

 

春はまだ始まったばかりである。顔を上げよう。

 

 

視点

 

 

久しぶりに常体ぶろぐ

 

 

 

 

 

 

「私たぶん○○さん(君)から嫌われてると思うから」

 

このワードを自分が頻繁に使っていることを、後輩から指摘され初めて自覚した。

 

 

物心ついた頃から、周りの人はきっと私のことが嫌いだろうから  と考える癖があったように思い返される。原因は恐らく、幼少期から思春期にかけて、対人関係に常に悩んでいたことだ。

 

「○○が昨日悪口言ってたよ!」だとかいう悪意のない(あると思うが子どものすることということで目を瞑る)報告に具合を悪くしていたこと。ブス(分かる)だとかデブ(解せない)だとか容姿の醜さを嘲笑されていたこと。無視をされたり家庭が貧しいことを馬鹿にされたりしたこと、無実の事案で悪者に仕立て上げられ集団で迫られ怯えたこと。

 

 

なんだか情景がフラッシュバックして暗澹たる気持ちになってきた、が、続ける。

 

 

昔の自分はとても小心者で周りの顔色ばかり伺って、自分の意見も何も持っていなかったから、言い方は悪いがいじめやすかったんだろうなと思う。もちろん当時の私もそう考えていて、自分は基本的に人から嫌われる人間なんだと諦念していた。

 

 

その思考が、人間性が構築される時期にじっとりと染み付いてしまった為に、大人になった今でもなお、卑屈な姿勢は変わっていないのだろう。

私にとって、「嫌われているだろうから」という言葉は自己防衛なのだ。傷つきたくなくて必死なのだ。予めそうやって予防線(というと語弊があるが)を張っておくことで、本当に嫌われていると知らされたとき、精神的に抱えるダメージがきっと最小限で済む。だからその姿勢を心がけておくようにするし、口にも出してしまう。そして自分から相手に関わろうとはしないのだ。

 

 

閑話休題

 

後輩の指摘には続きがあった。「れぬさん(私)が声掛けたら、みんな会いたがると思いますよ」「私は嫌な人だと思ったこと一度もないです」

 

なんだか申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが入り交じって、それを聞いてほろりと涙を流してしまった。こんなことで泣かないでくださいよと笑われてしまったが、ひねくれた心が少しだけ暖まったのを感じた。私が勝手に嫌われてると自嘲することは、思い上がりも甚だしい。自己防衛というより、只の自意識過剰ではないか。

それに何より、そんなふうに言葉をかけてくれる人が近くにいてくれることに感謝し、噛み締めて明るく生きる方が楽しいではないだろうか。

 

 

歪んだ達観はなかなか無くなるものではないであろうが、少しずつ変わっていきたい。そう思えたエピソード

であった。

 

 

 

はじめまして、凡人です

 

 

さぁ、ブログを書こう!

 

 

と意気込んだは良いものの、何を書きたいかというのは、こうやってポチポチと液晶を叩いている今も全く思い浮かばない。

 

読み手を引きこむブログを書きたい!たくさんの人に読んでほしい!   

なんて大それたことをちょっぴり夢見たりもするが、生憎そこまでできる感性と文才を持ち得ていない自覚はあるので、普段思ってることや、その日あったこと、心が震えたこと、美味しかったもの綺麗だった景色、そんな些細なことを記しておく気軽な場にできたらな、くらいの目的意識にしておこうかと思う。

 

 

既にお気づきの方もいるかと思うが、私の文章は回りくどい上に分かりにくい。そのうえ語彙力が著しく低い。

 

凡人が秀逸な物書きに憧れて無理しちゃってる感が酷いが、生暖かい気持ちで目を通してくれると嬉しい。

 

 

 

 

 

さて、今日はこんなことがありました

 

と書いていきたいところだが、私の今日はまだ始まっていないためネタが皆無だ。

 

 

今日を探しに外に出ようと思う。