8月の匂い

 

世間は盆。

 

 

 

と言えど、

 

田舎に帰省するわけでもなく、

墓参りに向かうでもなく、

クーラーの効いた畳の部屋に転がって、液晶画面を眺めながら私は放心している。

 

 

 

 

子どもの頃は、お盆は特別な日だった。

 

親戚一同が我が家に集い、霊園まで足を運び、照りつける日差しと伝う汗に文句を垂れつつ墓石を磨き、蝋燭の火へと変化した 祖父母の魂と共に帰路につく。

 

家には家紋入りの提灯を置き、神棚にはたくさんの馳走を供え、手を合わせ、亡き祖父母へ「おかえりなさい」と心の中で呟く。

 

一連の儀式的な営みが終わると、そこから先は宴会である。大人たちはビールや焼酎を片手に談笑し、子どもたちはお団子を取り合いながらはしゃぐ。

 

子どもながら、亡き人を肴に酒を飲むのはいかがなものかと思ったことがあったが、お盆はそうやって過ごすのが1番の供養になると聞いた。人見知りな私は、年に数回会うか会わないかの親戚達と話をするのは得意ではなかった。けれど大好きだった祖母(祖父は私が産まれる前に他界している)にまつわる話題には、花を咲かせることが出来た。血の繋がった一族が、祖父母を忘れずに生きていること、おかげでこうして交流できること。それは尊いことだなと感じていた。

 

 

 

しかし、

 

カネ、

 

訴訟、

 

誓約書、

 

裏切り、

 

精神疾患

 

搾取、

 

 

 

ここ数年で、そんな言葉ばかりが飛び交う

地獄のような一族になってしまった

 

 

 

 

しかもそれは皮肉なことに、祖父母の終の棲家、

もとい私が住んでいた思い出の家が全ての火種となっていた。

 

 

内情が縺れて以来、毎年集まっていた私の家は消えた。親戚が揃うことも全く無くなった。

 

祖父母のお墓参りも行けていない。

ジリジリと迫るあの暑さが懐かしく恋しい。

 

 

今年の夏、眠る祖父母を誰か迎えに行っているのだろうか。3日間彼らをもてなしているのだろうか。

私は何もわからない。切ない。

 

 

 

無力な私は心の中で今年も迎え火を灯している。

「おかえりなさい」